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院長ブログ

天使の変遷、霊的存在から守護者へ

クリスマス時期になると、店頭やクリスマスツリーなどにおなじみの天使のオーナメントが飾られる。しかし、時代の変遷とともに天使の姿や概念も様変わりしてきたようだ。

 少なくともキリスト教では、天使は常に透けたガウンをまとって飛んでいたわけではない。肉体を持たない霊的存在の時代もあれば、羽の生えた守護者と考えられていた時代もあり、数千年の宗教的思想の紆余曲折を反映している。

 聖書において、天使は神の使いとされる。英語の「Angel」はギリシャ語の「Angelos」に由来し、「使者」を意味する。しかし、それ以外の点について、聖書には多様な解釈の余地が残されている。

◆神と同一本質

「初期のキリスト教では、イエス・キリストも数多くいる天使の1人だと考えられていた」と、中東を専門に研究するアメリカ、ミシガン大学教授のエレン・ ミュールバーガー(Ellen Muehlberger)氏は語る。同氏は現在、古代における天使の概念の変遷について執筆中だ。

 イエス・キリストが正式に天使ではなくなったのは、古代ローマ帝国の皇帝コンスタンティヌス1世がニカイア(ニケーア)の公会議を招集した325年であ る。この会議で、依然として多様で時に相反する概念であった神、イエス・キリスト、聖霊を一体化する三位一体論が採択された。

「ニカイアの公会議で、イエス・キリストは父なる神の本質から生まれた、神と同一本質の者であると定義された。キリスト教徒はその後何十年にもわたってこの定義の解釈に取り組み、イエス・キリストと天使はまったく別の存在であると考えた」とミュールバーガー氏は説明する。

◆美徳

 キリスト教の初期段階における天使の考え方は、イエス・キリストやユダの描写と同じように多様だった可能性がある。

 例えば、4世紀のキリスト教修道士エヴァグリオスは、人間の本質を3つの部分に分け、次のような理論を唱えた。

「1つは欲によって支配されており、空腹や眠気や性欲を呼び起こす最も本能的な部分だ。次に感情的な部分で、怒りや高慢を生じさせる。そして理性的な部分 であり、最も神や天使に近い。エヴァグリオスは、怒りなどの感情は悪魔が襲ってきたような状態であり、自分で悪魔を追い払えない場合は、理性的な天使がそ ばで助けてくれると考えた」とミュールバーガー氏は述べる。

 同氏によると、ほかの人々もこの考えに賛成し、天使は実体のない精神、つまりは知性であると唱えるようになったという。

◆みんなの天使

 同じ頃、地上の天使は誰に仕えているのかという議論が巻き起こっていた。例えば、初期キリスト教の修道院では、多くの場合、本当に優秀な修道士のみ神の導きが得られると考えられていた。

「道徳的な成功の印である守護天使を誰もが手に入れられるわけではないと、当時の修道士は言っていた」。

 しかし、町では天使に対してより庶民的な見方が流布した。司祭らが、誰にでも守護天使がついていると信者に伝えるようになっていたのである。

 エジプトでは、快楽や家族との喜びを放棄して砂漠で修行する修道士こそ、地上の天使であると示唆し始めた司祭もいた。「しかし、そのエジプトの修道士は、“我々の振る舞いは動物に近く、天使ではない”とあっさり否定した」とミュールバーガー氏は話す。

 最終的に、「あなたも私も天使ではないが、天使は私たち全員を見守ってくれている」という大衆的な考え方が広まったという。

◆現代アメリカの天使

 現代のアメリカ人は天使の姿や概念について古代の人々ほど気にとめていないかもしれないが、天使は私たちのそばにいると信じる傾向がある。

 2008年に実施されたベイラー大学の世論調査によると、アメリカ人の約55%は人生において守護天使に守られたことがあると信じているという。

「守護天使について収集した1100件以上の話を調査した」と、同大学の社会学者カーソン・メンケン氏は語る。「死者が出た交通事故などから間一髪で助かった話をする人もいれば、暴行に遭ったときや、溺れ死にそうになった経験、戦争時の臨死体験を語る人もいる」という。

「この背景には、コントロール不可能な偶然の死に対する恐怖感がある。我々の研究によると、危機一髪の事態から生き残った人々の多くが守護天使のおかげだと考えている」。

 多くの事例では天使を実際に見たわけではないが、その存在が感じられている。キリスト教徒の多くにとって、守護天使はクリスマスツリーの上に飾られたオーナメントと同じぐらいリアルな存在のようだ。

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浦整骨院 (2011.12.26)